明治以降の日本が本来の日本の姿なのか?

 徳川幕府を倒して明治新政府が天皇制の日本を作った。歴史は得意ではないが、その当時の日本を動かしたのは多分、20〜30代の若手であろう。武士政権の単なる交代ではなく、古い体制を壊して、新しい体制を作るのであるから、古い体制に染まった老人にはこのような革命は出来なかったであろう。

 時代の大きな流れの中で封建制から立憲君主制へと方向転換する中で明治新政府は結構日本の文化を破壊するようなでたらめなこともやっている南方熊楠が反対した神社合祀反対運動もその一つである。また、西欧化の波で日本文化を軽視する風潮も生じた。柔道を創始した加納治五郎が当初柔術を習いたくて、柔術家を探しても中々見つからず、骨接ぎの看板を探したごとくである。既に柔術等で飯を食っていける世の中ではなくなっていた。

 明治初年の廃仏毀釈運動では仏像・仏具等が多く破壊・売却された

 先日、梅原猛著「梅原猛の授業 仏教」朝日文庫を読んだ。これは、梅原猛が京都の洛南高等学校附属中学校で行った宗教の授業12時限分をまとめた本です。この中に興味深いことが書かれている。

 まず、教育勅語が西欧から取り入れた19世紀の国家主義思想に儒教と神道で少し色を付けたものであること。それによって天皇教が作られ、仏教が排除されていったこと。

 明治神道は、明治天皇を祀った明治神宮と明治維新以来、国のために死んだ人を祀った靖国神社に代表されるが、日本古来の神道では、偉い人を神に祀ることはあり得ないと言う。古来神道では、高い位にもかかわらず流されたり、殺されたりして世の中を恨んでいる人が祀られてきた。要するに怨霊を鎮めるために祀ったのである。日本の神道の精神に従うなら神社に祀らねばならないのは、中国や韓国の被害を受けた人々であり、戦争を始めた人間を祀っている靖国神社のあり方は、日本の神社の精神に反するものである。以上は梅原氏の11時限の授業に書かれている。

 そもそも神道は日本人が自然の中で生活していくうえで、自然を恐れ、自然の多くのものに神が宿っているというアニミズムに端を発するものであるから、基本的な精神は、“畏れ”であろう。

 男尊女卑の風習も明治になってからではないのか?万葉集などでは男女は大らかに自分の気持ちを歌っているし、あの封建制の江戸時代でも我々が考えているほど、実態は男尊女卑ではなさそうである。四十七士の一人が妻との間でやり取りした手紙は非常に愛情細やかであるし、「元禄御畳奉行の日記」の旭文左衛門もヒステリー妻を最終的には離縁するが、直ちに離縁したわけではない。

 安土・桃山時代に来日したバテレンは、日本の男女が比較的自由にセックスするので驚いている。キリスト教は本来、その辺は厳格であるから、日本人の行動は信じられなかったようである。昔も今も変わらないのは、その辺の事情だけでしょうか。しかし、現代の日本人の回数は世界で最も少ないと言うから明治以降、日本人は抑圧されているのかもしれない。

 世界で民族主義が台頭し、日本も今、似非独立の気運というか、単なる強がりと言うか、変な動きが出ているが、明治以降の古い国家主義思想の元での日本の姿を本来の日本と勘違いしたらとんでもないことになる。このことに多くに人に気をつけてもらいたい。

(2007年1月21日 記)

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